バンクーバー生活情報とあれこれ

バンクーバー在住歴25年のHanaの個人的見解

鬱、老後を論じる

 

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なぜ朝が来ると人は起きるのだろう?起きて何のために今日を生きるんだろう?深い!それは哲学かただの鬱だ。 

 

 

つい3ヶ月前まで私もバンクーバーの空港で仕事をしていた。コロナ前はとても忙く、時に1ヶ月100時間ちかく働いていたこともある。そんな時朝起きる意味なんて考えたこともない。朝起きたら仕事に行く、それを何十年も続けてきたのだから意味もクソもあったもんじゃない。そして、仕事さえしていれば、報酬とうまくいけば評価を手にし、自分の存在価値を誇示することさえできる。そんな仕事から、ある日、”はい、賞味期限切れね。ご苦労様”と置き去りにされる。それが老後だ。

その老後は誰しにもいつか必ず訪れる。そして、今更に、いや今更だからこそ生きる意味の哲学しながら、自分探しの"チューリップ”(分かるかなあ~)。老後に明るい未来はあるのか?それは死に向かう長いトンネルの始まりなのではないか?。あんたやっぱり鬱や!

 

 

”老後は第二の人生と言って、今まで粛々と働いてきた報いとして楽しむためにあるんよ。だから、仕事やめたら毎日ゴルフして楽しむのよ”と言うあなた。甘い甘い。毎日ゴルフを3ヶ月続けていたら、飽るんよ。で、”これでいいのだろうか”と哲学するんよ。そこで目的と価値を見つけた人はおめでとうございま~す。あるいは、たんまりため込んで贅沢に世界旅行するクラスの人々はもう例外、論外、問題外。それらの幸運な人々は、きっと暇を持て余さない幸せな老後切符を手に入れるのであって、それにケチをつけるつもりはない。

 

 

しかしだ、きっと多くの人が、突然老後生活に突入すると、朝起きて今日も特に予定なしと真っ白なスマホのカレンダーを呆然と眺める。そこで、”今日を生きる意味って何?”と考えだす。やば、やば、やば、これって私だけ~??

 ちょっと自分探しの旅に出てくるわ。ほな、さいなら!

 

”そこに愛はあるんか?”~店員編

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娘とたまに一緒にショッピングに行く。格別仲の良い親子ではなく、どちらかと言えばアリとキリギリス、猫とネズミ。基本合わない。しかし、老後生活に突入し暇もてあまし、毎日数少ない友達に電話しまくるのもなんだし、同じ暇もてあましている娘とショッピングという成り行きなわけだ。

 

 

ところで、昔は銀座、渋谷、新宿の掛持ちショッピングは当たり前、朝から晩まで疲れ知らずで歩きまくっていたこの私がだ、最近、ショッピングが結構しんどい。だから娘とモールに行くと、煌びやかな服やバックの代わりに、モールに置いてあるベンチとトイレを目視確認している自分がいる。残念!、足と膣の衰えか~?

 

 

とりあえず、ベンチ至近距離確認後、一旦は娘の後をついてアバクロに入店。最近オープンしたアバクロに娘と来るのは2回目。残念ながら、恥や外聞皆無のシニアに突入した母は、“買えないもの見たって時間の無駄”(ほんまやで)とばかりにセールコーナーにまっしぐら。一方、優雅に新作コーナーをぶらぶらしている娘に、店員の男の子が、”この前も来たよね。あなたのこと覚えているよ”と話しかけてきたのが聞こえた。そうそう、覚えてるとも。確かに私もあんたの事覚えている。

 

 

前回、やたら人懐っこくって、娘に”やあ、君のサングラスすごくかっこいいね(まじ吹き替えセリフ)”と話しかけてきたことをしっかり覚えている。なんで覚えているかと言えば、娘が頭に載せていたサングラスなんてどこにでも売っている安物。そのどこにでもある安物のサングラスをあえて褒めるしかなかったという残念なセールステックが丸見え。あかんで、それは。試着室から出てたお客さんの似合ってもいなワンピースむっちゃ褒める昭和の店員さんや。なんでん褒めりゃあいいてもんじゃない。

さらに言ってしまえば、今回、あんた絶対覚えてないでしょう。それ、昭和の典型ナンパテク。証拠に、彼は、”あの時のサングラスの子だよね”とは言わなかっもんね。2021年、カナダにて次々飛び出す使い古された昭和テック。大変興味深い。。。

 

 

人から褒められれば、誰だって嬉しい。ちょっとした一言で、その日一日心に涼しい風が吹く。だから、私も、素敵だな、似合っているなあって思ったことは、通りすがりの人にだってわざわざ引き留めてまで言ってしまう(まじ?)。だって、言われたら嬉しいじゃん。なんで嬉しい?そこに愛があるからや。そこに誠意があるからや、おかみさん。計算から生まれた言葉で人の心はつかめないのよ、坊や。

 

 

友達にこの話をした。彼は純粋にそのサングラスがいいと思い、彼は本当に娘のことを覚えていたのかもよと。 そうかもしれない。。。。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

菅さんよ、あんたの外交政策それでいいんか?

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私は台湾好き。食べ物も好きだし、台湾の人たちにも親しみを感じる。人種のモザイクのバンクーバーで、さらに80%が中国人だと言われているリッチモンドともなれば、1メートル歩けば中国人に出くわす。中国人と言っても、中国本土の人、香港人と台湾人に分けられ、それぞれ別人種と言う程かなり違う。

 

 
その中で、台湾は、日本と文化が似ていてかなり馴染みやすい。とわ言えその裏には、1931年9月18日に勃発した満州事変で、日本が台湾を占領統治した事実は無視すべきでなく、心情的にかなり複雑である。その際に、強制的に日本語が公用語となり、日本の文化が台湾本来の文化と融合したのだと思う。さらっと言ってしまえばそうだけど、その際の台湾での日本軍の行為は恥ずべきであり、バンクーバーで台湾人のお年寄りと日本語で話をする機会がある度に申し訳ないと言う気持ちになる。
 
 
話は変わるが、6月23日の「羽鳥慎一のモーニングショー」で、長崎大学大学院の森内教授が、大変興味深い発言をなさった。ちなみに話は逸れるが、私は羽鳥さんの大ファン。羽鳥さんはアナウンサーのくせに(笑)よくどもる。しかしだ、司会者として控えるところは控え、言うべきところは言い、周りの空気をよく読み、そしてフォローがうまい。アナウンサーはただすらすらと原稿が読めれば良いのではなく、行き着くところは個性であり人間性であるのだなあと羽鳥さんを見ていてそう思う。
 
 
さて、森内教授の発言に戻ろう。教授は、6月23日の放送で、アストラゼネカワクチンが常温で維持できる為、訪問接種や個人病院での接種などに対応でき、大変使いやすい良いワクチンであるとおっしゃった後、日本が外交策の一環として台湾やベトナムにこのアストラゼネカのワクチンを送ったことに関して言及された。
 
 
日本は6月4日に、コロナの急激な増加に対し、ワクチンの供給遅れで苦境にある台湾に、124万回分のアストラゼネカのワクチンを無償提供した。しかし、台湾でそのワクチンを摂取し6月20日の時点で64人の方が亡くなった。それに対し中国から、「日本は、日本人も打たないような、しかも期限切れまじかのワクチンを提供した」などと言う報道が流出した。日本の好意が、なんとも無念な結果になったではないか。アストラゼネカのワクチンを打って死者が出た事と、それが日本からの供給であったと言う事には、なんら因果関係が無い。けれど、アストラゼネカのワクチンを打って64人の方が亡くなったと言う事は事実であり、その事実が反日感情を逆撫でするために中国によって利用され、日台関係が悪化してしまうかもしれないことが残念でならない。
 
 
日本には何の非もなく、それは純粋に好意あったのに。。。それが私の最初の感想だった。
 
 
森内教授は、日本で使用していないアストラゼネカのワクチンを台湾に提供したことに関し、「自国で使用し安全が確認されたもので、しかも自国で打ち終わり、さらに余っているのでそれを他国に無償提供するというのが本来のあるべき姿だ」とおっしゃった。さらに、外交的にも、そういったワクチンでないと貢献していると言う評価を受ける事は出来ないと述べられた。
 
 
この発言は私にとって目から鱗。実際冷静に考えてみれば、自分が嫌いな物や食べ残しを人にあげる事と、自分が大好きな物を本当は食べたいんだけどそれを人に上げる事では、確かに大きな違いがある。それが親しい家族や友達であればいいけれど、これはなんて言ったって外交。この森内教授の発言が日本政府に届くことを心から願ってやまない。
 
結論として何を言いたいかと言えば、人に贈り物をする時は間違っても余ったものや安いからという理由であげてはいけないと言う事。自分の身を削ってでも自分が大好きな物を送りましょう。お後がよろしいようで。。。。
 

バンクーバーでの老後と初投稿、その答えは?

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人間,歳をとるに連れて何事にも「初」と言うことが少なくなってくる。日々の生活に終われるだけでなく、自分の限界を垣間見て、出来ることしかしなくなるってことかもしれない。だからこそこの「初」が結構嬉しく、ワクワクしてしまう。

 

 

 私ことHanaちゃんは、1987年にカナダのバンクーバーに移住し、結婚、出産、仕事、離婚と、みごとにフルコースをたいらげ、シニアに愛でたくなったこともあり、自称勝手に老後生活に突入した。

 

 

 しかし、いざ老後生活に突入してみると、実際、結構、なんだか、かなりつまらない。当初は、アラームをセットしない日々をこの上なく贅沢と感じ、それだけで開放感に浸っていた。ところが、いざその特権が日常となると、起きる必要もないのに、毎朝6時にはぱっちり目が覚める(あぁ残念ながら婆の証拠だ)。そして、一旦目が覚めると疲れていないからもう二度と眠りには戻れない。その結果、1日が恐ろしく長い。友達のリストも使い切り、たいして趣味もない私は、1ヵ月にていとも簡単に行き詰まったのだ。

 

 いかんいか〜ん!

 

 そこで、ちょっとここで自分を振り返えろうと、ワイン片手に自分探ししていると、「そんなこんなで国際結婚の事」や「海外の教育システムむっちゃ適当」とか、「海外で働くのって言っとくけど大変だぞ」とか、「めっちゃ面倒くさい離婚の事」とか「未知なる老後との遭遇」とか、結構色んな経験をしてるではないか。

 子供や友達とっ捕まえて、そこら辺の話をしたって疎まれるだけ。そこで、誰か聞いてと思っていたら「はてなブログ」がいいよ聞いてやるよ言ってくれてるではないか(ほんまか)。

 

 

 要は、絶対いるはずである“なんだか心が満たされず、何をしたらいいのか、どうしたらいいの分からない”人と繋がって、何かが始まればいいなと思っているわけだ。

 時間はたんまりあり、地道に一歩一歩進んでいけばその先には何かがあるかもしれないし。。。。そんなシニアらしい地味な志なわけです。