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バンクーバー在住歴25年のHanaの個人的見解

72歳、彼女の人生最後の大勝負

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

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あの日、久しぶりに、彼女とお茶をしようと待ち合わせた。彼女とは、20年来の友人で、年が離れていることもあり、べったりとした付き合いではないが、姉の様に慕っている存在だ。

 

夏のバンクーバーは、眩しい太陽が肌に突き刺さるにも拘らず、体温計は23度を指し、透明で涼しい風が、2人が座っているテラスを吹き抜ける。

 

彼女は、乗っけから、近年更に急斜を増した目尻をくしゃくしゃにしながらこう言った。

 

“彼が出来たのよ。今一緒に住んでるの。“

 

いきなりの不意打ちの右フック。まさか、そんな報告を受けるとは思っていなかった。さらに、彼女は、私の驚いたリアクションを完全に楽しみながら、悪戯げに顔を覗き込んで、

 

“彼ね、15歳年下なの。“ と付け加えた。

 

私は思わず頭の中で計算をしてしまった。5、57歳じゃん。

 

“じゃあ、今はマキさんの家に住んでいるの?“ 。

 

彼女は、“そう“と再び嬉しそうに頷くと、さらに、“で、彼って白人なの。“ と言いながら写真を見せてくれた。

 

またもや意外な発言。何と言う理由はないが何故か、白人であると言うことにも驚いた。

 

私の知っている彼女は、そんなタイプではなかった。そんなとは、どんなかと言えば、要は以前の彼女から男の気配を感じたことがなかったし、聡明すぎて男なんてくだらないと鼻で笑うタイプだとなぜか思っていた。

 

彼女が若い頃、日本で小さな不動産屋を経営していたご主人を亡くしている。お店での事故と言う風に聞いているが詳しい事は知らない。詳しく話したがらない理由がきっとあるはずだから敢えて聞くこともなかった。きっと失意のどん底にあっても、彼女は、強かったのだろうと思う。その後、彼が残した財産で、投資移民としてカナダに来た。もう40年も前のことだ。それから、ずっと1人で、子供もいない。

 

特に洋服に気を使うでもなく、いつもすっぴんで、でも背筋がぴんと伸びていて、その話し方は自信に満ち溢れている。ちょっと男っぽくて女が憧れるタイプ。まさかその彼女が。想像もつかなかった彼女のもう一つの顔に出くわし、狼狽えてしまった。

 

そう、今まで彼女さえも知らなかったもう一人の彼女。

 

ある日、“君の笑顔は素敵だよ“と言う彼の陳腐な魔法のセリフにまんまと引っかかり、知らず知らずのうちに長年封印していた、きっとそのまま消滅するはずだった彼女の中の女が、いとも簡単に息を吹き返したのだ。

 

“これは、果たして、よいニュースなのだろうか、悪いニュースなのだろうか?“と心の中で自問自答しつつ、私は友達として何を言うべきなのかを模索していた。

 

人が誰かを好きになり、幸せの絶頂にある時、友達として発する一言が、長年培ってきた友情を簡単に崩壊させる破壊力があることを私は知っている。

 

彼女は続ける。

 

“彼は、仕事をしていないから、料理も掃除もてくれるのよ。優しいのよ。“

 

要は、優しいけど、仕事もしていなければ、貯金も、財産もない。だから、彼はこう言う。“僕にとって君がすべてなんだ“。そりゃあ、そうに違いないだろう。

 

言っておくが、彼女は、理性も客観性もちゃんと持っている早稲田出の聡明な女性だ。彼女は冷静であるはずだ。でも、ただ、準備体操もしないまま、いきなり冬の海に飛び込む様で、もしかして万が一、何かが間違っているかもしれないし、その警告は鳴らすべきだと、心の声が囁く。そして、結局、その声に押される様に、私は切り出した。

 

“彼は、財産目当てだよ。“ 

 

口にしてしまうとなんて嫌な言葉だろう。心の底から彼女のことを思って言っている言葉なのに、その言葉が私の口から出た途端、嫉妬しているかのごとく汚いものに聞こえ、“あ〜、しまった。こんなこと言わなればよかった。“と一瞬にして後悔した。

 

すると、今までの屈託のない笑顔が消え、最近特に目立ってきたシワのある手をじっと見つめながら、静かにこう言った。

 

“分かっているよ。“

 

そうなのだ。やっぱり彼女は分かっているのだ。だって彼女は聡明かつ冷静だもの。彼女は、私たちが勝手に想像する、見境のない恋に狂ったババァじゃないのよ。

 

“それは本当の愛じゃないよ“と、この聡明な彼女に私はなんて馬鹿なことを言ったのだろう。じゃあ、一体、本当の愛ってなんだろう?

本当の愛を見つけたと思って結婚しても、散々お金で揉めて別れることもある。本当の愛と信じて結婚しても、一緒にいる意味さえも分からないくらい惰性で続けている結婚生活もある。愛していると言いながら、その裏で財産の値踏みをしたことが無いとは言わせない。どれが、何が、本当の愛だと言うのだろうか。

 

彼女は続ける。

 

“いいの。私が死ぬまで、彼がやさしく私を大切にしてくれるならば、それでいいの。“ 

 

どうせ彼女が死んだら行き場のない財産だ。薄い血縁を手繰り寄せてたどり着く、会ったこともない人達に持っていかれるくらいなら、彼に全部あげることに悔いはないと彼女は言う。

 

それでも、カナダでは、1年以上一緒に住むとコモンローと認定され、別れる際は、基本、財産は50/50と言う恐ろしい法律がある。それでも彼女は気にしないと言う。残された人生、彼と楽しく過ごすために使うお金も欲しくはないし、それに終わりが来る時が来たとしても、この幸福な時間を知らずして死んでいくより、よっぽどマシだと彼女はすぱっと言い切った。

 

彼女は、才女で、しかも勝負師である。失うことを怖がっていては勝負は出来ない。そう、失うことが怖くない72歳、独り身の彼女にとって、この勝負に負けは無いのだ。

 

彼女が提案してきた”The Story Cafe”と言う名前のお洒落なイタリアンレストラン。こんなところにこんな素敵なカフェがあるんだと驚いた。お料理もお洒落で美味しくとても気に入った。彼と一緒に散歩をしているときに見つけたのと言っていた。あー彼女は、今、彼と幸せな日々を過ごしているんだなぁ。

 

カフェを出ると、少し日差しが柔らかくなっていて、相変わらず吹く風が心地よい。

 

また会おうねと言って彼女は私を抱きしめてきた。

 

“うん“

 

それだけ。それ以上何も言う必要はない。彼女の挑んだ大勝負を、私はそっと見守っているだけだ。